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相塲罫線學の起源(期米相場罫線学)

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第一編第二章 相塲罫線學の起源

罫線學發達の遅々たる所以

經切罫線學の起る、其の由來己に久しと云ふべし、今之れを書籍に徴するに、數百年前己に斯を用ひたるを知る、唯當時世事簡単にして複雑の事實に乏しく、其の發達の機に接すること乏しかりしなり。然れども今を去ること數百年の古に於て、斯學既に世人の使用する所となりし一事は、今日尚之れを古寺或は舊家の断簡零冊に徴しても、明かに其の痕跡あるを見るなり、例之は彼の大和法隆寺の秘蔵に係る、聖武帝御親翰の經切の如きは其の一にして實に今を去ること約一千二百年前の實物たり、而して當時罫線の活用頗る見るべき者あり、即ち其線体にして配線の体は長方縦方に属し、邊線及び境界線の二線より成れり、而して其の格は小線にして其の法は単線法とす。

佛名經又同寺の實物佛名經の残本を見るに、其の罫線の使用頗る井然たる者あり、其の体形は長方平形にして數條の縦線之れが境界線を爲し、其の格は小線格にして其の法は単線法とす、其の形式左の如し。

跋文に永治元年十一月十三日の日附あり、暦に依つて之れを推すときは、即ち今を去ること實に七百七十余年前の遺篇なることを知るなり。

以上は是れ特に我日本に於ける罫線學應用の一班を示したるのみ、尚ほ之れを外にしては、則ち支那印度等の古國に於ても、之れが適例一にして足らざるべし但だ當時其の使用の道、僅かに巻籍圖畫の一局に限れるを以て、其の使用の線体自ら邊又線境界線等の一二科に止まり、未だ大に罫線の妙用を顯はすに至らざりしのみ。

罫線學漸く發達す

然るに輓近印版の業一たび開くるに及んで、則ち斯學の利用頓に一新し、今は苟も事の罫線を要すべき者は、殆んど之れに頼らざるものなきに至り。

相場罫線の由來

偖て相場罫線は罫線學の一部にして指示線折線体に属し物の多寡高低等の比較を一目明瞭に知覺すべき様になせる者とす、歐洲にては夙に病者の温度を一覽せんが爲め醫學社會に用ひられ、漸次に物價統計等を顯はすに之れを用ゆるに至れり、我國にて初めて之れを用ひしは大阪にして相場師等が米相場の高低を録せしに淵源す、左れば其の起源堂島米坐の開始後即ち今を遡ること二百數十年前なりしなり、尚其の名稱の如きも處により足取、足引線等の區別ありと雖も苟も米商に従事する人は未來の高低を制するの測量器として之を用ひさる者なく、其の観察法の如き何人も研究を怠らざる處なり。

足取表用紙

要するに相場罫線學は、罫線を以て相場高低の程度を一目して覺知すべき様圖畫する方法にして、相場を罫線的に表示するには縦横に細線を描きたる足取表用紙なる者を用ふ、又十銭又は一圓のみを顯はせる略罫を用ゆることあり。

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